初冬の東北旅行から今日は1日目のお昼前までの行程の紹介です。
朝9時に福島空港に着いて、バスに乗って一路裏磐梯の裾野にある五色沼へ向かいました。
五色沼とは大小40あまりの湖沼群を総称した名称です。
ここだけでも半日くらいの時間を取って欲しかったのですが、たった30分ほどの滞在で、五色沼の入り口の「毘沙門沼」だけの散策となりました。
blogトップの写真は、その毘沙門沼から見た磐梯山(裏磐梯)です。
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エメラルドグリーンの沼と真っ赤に染まったモミジがきれいで、いろいろな方向から撮ってしまいました。
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沼の少し奥ですが、この色の美しさに感動でした。
太陽の陽があると光の加減や気象条件で様々な色に変化するそうです。
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この毘沙門沼、それほど広い沼ではありませんが、磐梯山を背景に広角で撮るとすごく広く見えます。
こうして見ると冠雪した裏磐梯は、日本の山ではないような感じがします。

雰囲気を感じただけで完全に消化不良のまま五色沼を後にして、バスは猪苗代湖湖畔にある「野口英世記念館」へ向かいました。
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ここには、野口英世の生家が保存されていて、志半ばにして、自ら研究中の黄熱病に感染し、亡くなった英世の様々な資料なども見ることが出来ます。
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生家は見ての通り藁葺き屋根で、粗末な建物です。
それを東北の雪などから守るために、生家の上に大きな金属製の屋根が設けられています。
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ご存知の方も多いと思いますが、英世は1歳半の時に母親(野口シカ)が少し目を離した間に、この囲炉裏に落ちて、左手に大火傷を負ってしまいました。
非常に貧乏であったため、医者にかかれず、火傷を負った手を握った状態で手ぬぐいでぐるぐる巻にしたため、癒着してしまい手を開くことが出来なくなってしまいました。
小学校時代はその手の形から多くのいじめを受けたようですが、勉学学に励み、常にトップの成績を残したそうです、
そして、高等小学校(現在の中学)を卒業の時に同級生達の募金で、手を開く手術を受けています。
その医学の力に感銘を受け、医学の道に進んだそうです。
この火傷の痕を見せるのが嫌で、野口英世は写真を撮られるときには、ほとんど左手を隠しています。
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これが「野口英世記念館」です。
野口英世の様々な資料が展示されています。

アフリカで亡くなった英世の遺体は、当時属していたロックフェラー研究所のあるアメリカへ送られ、そこで葬儀を行われました。
その為、日本には遺骨はなく、妻メリーから送られた遺髪が上の記念碑の下に眠っているそうです。


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記念館にあった野口英世のステンドグラスです。

あらためて野口英世の残した研究成果の偉大さを感じることが出来ました。


ここも駆け足で周り、次の目的地であり昼食の場所である会津に向かいましたが、これからの様子は明日お届けします。


今日は、寒くなりましたね。
体感的には先日の東北より寒く感じ、何か、東北から冬をお土産に持って帰ってきてしまったようです。
ちょっと早いですが、慌てて薄いコートを出して、今朝から着て出かけました。
通勤時に見ているとワイシャツの上にスーツだけという人が多いですが、やせ我慢して風邪をひいては元も子もありませんからね。
寒いと感じたら上着を1枚プラスする方がいいですね。